私の青春時代はすべてをウインドサーフィンにかけた時期でした。
そして最後の着地点として私が目指したのはウインドサーフィン競技者を
育成をすること。
福岡空港国際線 荷物ターミナルで4tトラックの運転手をしていた頃、
熊本県宇土市に熊本未来国体のヨット競技用施設 宇土マリーナが建築されることを知り、
ここで働きたいと思い、熊本県内に移り住む為に福岡での仕事を辞め、
ホンダ技研工業 熊本製作所に期間従業員として働き始めました。
熊本県の教育委員会、宇土市役所、ヨット連盟などに
コネなし、知り合いなしという状況で出向き何度もアピールしました。 笑
残念ながら就職活動はうまくは進みませんでしたので、
熊本に行く前に取得した宅地建物取引士資格を生かして
帰福後は不動産業に就職し今がある訳です。
さあ、ここからが今回の本題。
熊本のホンダ技研工業は当時、アジア地域の大不況により、
期間従業員の全員が解雇となり、その後はアルミサッシの組み立て会社、
太陽光発電システムの設置会社、フィッシャリーナ天草などで働き
なんとか自力で生活していました。
フィッシャリーナ天草の近くに第3セクターにより
『パールサンビーチ 海の家』が整備され、そこの管理人を
やりませんか? との話があり断る理由もなく流れで引き受けた次第。
現在は上天草市という地名になっています。
バイト仲間は『樋合(ひあい)島』集落の高校生から、ず~っと年上の自分の親世代の
方々で海の家を運営することになりました。
元々、私自身コミュニケーション能力は高くなく、色々と衝突もありましたが
そんな時にいつも助け舟を出してくれたのが地元の漁協にお勤めの美人なNさんでした。
当時、ある方の紹介でT様と出会い、就職活動のアドバイスなども頂いた。
しかし、それから後に就職活動が失敗に終わったことを知らされ
福岡で不動産業界に、またも流れで進んだ訳です。
それから約16年後、、、、
そのT様から電話があり 『福岡市で美容室をやりたい方を紹介するね!』
すぐに、お客様を自家用車で福岡市までお連れ頂き物件探しがスタートしました。
後日、お客様のご両親もお出でになり、弊社事務所でお話ししている中で
私が天草の樋合島での思い出話をしたら、お母様がびっくりされて
『そのNさんは、私の叔母なんです! 福岡で樋合という場所を
知ってる方に会えたのも初めてですが、まさか叔母と関係があったとは、、、!』
勿論、私も驚きました。
とにかく樋合でアルバイトの時期は年齢38歳頃、安定した職もなく
とにかく目の前は決して明るくない日々でした、、、
そんな中で海の家に3か月間、一人ぼっちで住んでいた私に
次々と地元の方がお弁当やら『このしろの姿寿司』を持って来て
頂いたことは忘れることができない嬉しい想い出です。 涙、、、
今回、お客様を紹介して頂いたT様とNさまとは直接の面識はありませんが
私(青柳)を挟んで、多くの方との再会が出来る事になり、
こんな偶然があるのか~? と、ご縁の不思議を感じています。
今年中には樋合に出向き、感謝の再会が楽しみで~す!